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カ-ボンオフセット(CO2排出量減少のための行動)に都会の子どもたちによる『ドングリの森作り』を

120自然田舎塾 代表
杉原 五雄

 環境省は04年4月、植林や森林経営による二酸化炭素の吸収量が『計画当初目標の3.9%を大幅に下回る3.1%になる』との試算をまとめ、発表した。
 発表によると、02年度までの水準で森林整備が進んだ場合、二酸化炭素吸収量は3776万トン(同年比率:2.8%)になると推定したもので、当初の目標値である4767万トン(排出目標量の3.9%)を約1000万トンも下回るという。
 原因として間伐作業や森林管理が進んでいないことや、間伐材などの活用が進んでいないことがあげられる。続いて05年5月、環境省は地球温暖化の原因となる03年度の温室効果ガス排出量が、前年比0.7%増の13億3900万トンであると発表。
 これを京都議定書の基準である1990年と比較すると8.3%も上回っており、従って批准目標である6%削減を達成するには向こう8年間で1億7700万トンの削減を果たさなければならないことになる。 これは増加一方の二酸化炭素排出量を、景気を後退させずに大幅に削減することは至難の技としか言いようがないのが実情。現状をカバーすべく、大幅に削減できてしかも実行可能、且つ持続可能な方法を探して提案する必要があるとして、以下のような大胆な提案をしている。
 その提案とは、50万ヘクタールにおよぶ日本全体に点在する休耕田や耕作放棄地に『クヌギを植林』して『木質から収穫するきのこ』を栽培する方法というものである。
 こうした用地の活用は、過去にも試行錯誤が繰り返されてきたが、そのどれもが事業性に事欠くものであったのは周知のこと。『ここに提案する方法は大いなる事業性が発揮できるのが特徴なだけに、国民を挙げた運動にしてゆけば素晴らしい効果を生むものと確信できる』とあるが、(確かに計画通りに運べばだが)かなり現実味があるような気がしないでもない。
 しかも、休耕田には、政府から農家に対して一反あたり10万円の休耕補償金が支給されているが、この補償金を政府が進める財政改革の一環として平成19年を限度に撤廃される見通しだという。(現在は撤廃されたのだろうか確認中)
 補償金が払われなくなった場合に、休耕田をどうするかという問題が浮上する。農家の多くは『再び米を作る』と言っているそうだが、それでは、過剰生産となって米の値崩れが心配されるだろう。一方では、手入れしていない田んぼだから、当分は米が作れないという見方もある。
 素人の私にはよく理解できないことばかりだが、休耕田のほとんどが無肥料で、管理されていないから雑草の繁茂にまかせている状態。これでは、たとえ形は水田になったとしても、米が作れるまでに年月がかかるのは当然のような気がする。
 休耕田活用と二酸化炭素吸収量を確保するアイデアとして、植林したり、ケナフを植えた例があるようだが、逃げ出して植生に悪影響を及ぼしかねないケナフなど外来植物の植栽は好ましくない。また、これらの計画では、殆どが間伐の費用捻出や事業性の問題が解決せず、結局は手つかずの状態となって運動が途絶えているのが現状である。
 バイオエタノ-ルが世界的なブ-ムになっており、我が国でも休耕田にトウモロコシを植えてエタノ-ルを作る研究が始まったと言う。既に実用化にしている話を聞こえてくるが、日本人には『食料を燃料にする』という感覚は馴染まず、農民が競ってトウモロコシの栽培をはじめる都は思えない。

 そこで、クヌギを植えて、数年後伐採した木材から、菌床用のチップを作りそれを直接販売するとか、あるいは農家自身が自分たちで作った菌床を使って、キノコを栽培して販売ル-トに乗せるという提案になってきたようだ。
 試算では1町歩の休耕田にクヌギ植えて、それから産み出される菌床をそのまま販売した場合は、約200万円。キノコを栽培した場合は約500万円と見積もっているようだ。少し甘いようには思うが、キノコの需要は今後もある程度見通せることから、話半分としても農家にはかなりの収入をもたらすのではないだろうか。
 休耕田は、もともとは栄養充分だった土壌、気候の違いや地域差があるとしても、クヌギの成長は著しいだろう。途中、干ばつや枝打ちした木材で高級品質な『きのこ菌床』も作れることは間違いない。
 クヌギの植栽は、農家の収入増はもちろんだが、それ以上に二酸化炭素の排出量の減少という点で大きなメリットがあることは間違いない元々、こちらの報からの話だったらしく、かなり細かく二酸化炭素の削減量計算している。
 50万ヘクタールにクヌギを植えたとして、そのクヌギが吸収してくれる二酸化炭素量は計算上約1840万トンにものぼり、議定書の批准目標となる1億7700万トン削減(03年時点)の10.4%にも達する大きな成果となるというから驚きである。

 話を戻すが、世界的に二酸化炭素の排出量を減らすことが緊急な課題となり、このためいろいろな試みがなされている。その一つとして、都市部では二酸化炭素の排出量を減らそうと、ビルの屋上の緑化や学校の校庭に芝生を植栽などあの手この手で緑を増やす計画を立てて動き始めている。
 確かにこの考え方は、都市部のヒ-トアイランド現象を防止するという面においては多少の効果はあるだろうが、規模からして、二酸化炭素の排出量を減少させるという効果からはあまり大きな期待はできそうにない。
 しかもこれらを実施するには莫大な維持管理費がかかるので、よほど財政的に余裕のある自治体でないと実行するのが難しいのが大きな悩みとなっている。さらに、役所や学校などの公共建造物の屋上は緑化できたとしても、一般企業や個人所有のビルの屋上などの緑化は、所有者の理解がないと難しいことは論を待たない。

 最近になり、『二酸化炭素の排出権』が大きく注目されるようになり、それをビジネスにする商社がヨ-ロッパを中心に大活躍をしているとのことが報道されている。
 二酸化炭素そのものでビジネスが成り立つとは思いもよらないが、『排出権』という商品に姿を変えて大きな市場になっているという。是非はともかく、この動きに日本も巻き込まれることは間違いなさそうだ。というより、すでに巻き込まれて参入している企業すらある。
 この『排出権』という商品は、国全体に二酸化炭素の排出量の減少を求めている国際的規約の中で生まれた考え方なので、国内での取引は、あまり話題にもなっていないようだが、地方と都会を同じレベルで論じることは無理があることは明らか。しかしこの問題はどのようにして全体的に二酸化炭素の排出量を減少させるかという、『国としての施策』をまとめる時に、近い将来、具体的な論点になることは間違いないだろう。
 カ-ボン・デモクラシ-という言葉が、最近ヨ-ロッパの識者を中心に言われはじめているという。一言で言うならば、人間は皆等しく二酸化炭素を排出する権利があるというもの、言い換えれば誰もが平等な人間らしい生活ができるということだろう。
 先進国の国民だけが、世界の富を独占し便利で快適な生活を楽しみ、二酸化炭素を垂れ流している現状に警告を与えると同時に、少なくとも二酸化炭素を排出する量は権利として同じにするべきだという考え方。これは一理も二理もあること、さすがヨ-ロッパ人の発想の面白さを感じる。
 この考え方は国単位を前提にあるようだが、それぞれの国内でも貧富のさや生活様式の差には大きな違いがあり、当然なことながら都市部と地方との二酸化炭素の排出量を比べると、当然のことながら、都市部の排出量が多いのは誰もが認めるところだろう。
 これはカ-ボン・デモクラシ-の理念から逸脱することになり、都市に住む人達や行政は、より以上に二酸化炭素の排出量の減少のために努力をしなければならないことを示している。 となると、都市部の自治体は二酸化炭素の排出量を減少させるためには、今、国際的に大きな注目を浴びている『排出権の売買』という考え方に沿って、排出量に余裕のある地方の協力をえるのが、唯一有効で確実な方法ではないだろうか。
 『活性化』を目指す地方自治体には、この話は見逃せない。過疎に悩み、住民を潤す産業もない地方は、殆どが周りを森林で囲まれている地域だろう。(海という条件もあるが、クヌギを植えられる場所があるという仮定で・・・)面積の70%以上が森林というのも稀ではない。
 『排出権』がすぐさま国内で商品化されるとは思えないが、きちんと理論を作ればビジネスのチャンスは大きく広がり、過疎に悩む地方にとってはまさにチャンスである。表現は悪いが、『都会あるいは大企業』という『獲物』がネギを背負ってカモ状態。これを逃す手はない。しかも、この『獲物』は凶暴性をもたない。友情の手を差し出せば良いのだから、それほど難しい話ではない。
 言葉がないので仮に『国内排出権』と名づけるが、この『国内排出権』で都会相手にビジネスが可能になれば、地方の過疎の自治体が潤うことは間違いない。
 しかし、(何でもそうなのだが)森林といえども手品のように無尽蔵に生えてくるものではない。『国内排出権』が商品としての価値を持ったとしても、所詮は『物』には違いなく限りあるものだということを十分理解しなければ、地方の活性化とはほど遠い結果になる恐れもある。
 さらに、『国内排出権』というアイデアに最初に気づいた自治体は都市と交渉して、かなり高額で『国内排出権』を売り出せるかもしれないが、森林資源のある多くの自治体はこのシステムをすぐ真似るところとなり、結局は買いたたかれることになりかねない。都会の取り合いという、地方同士が足の引っ張り合いも生まれてきそうだ。
 都会の人間の便利で快適な性格を支えるために、単に排出権を売り渡すのでは、いままでと同じで都会に媚をうるパタ-からの脱却は難しい。一時的に地方と都市との力関係が逆転することで自己満足を確かめるだけになるおそれも十分考えられる。
 地方とてこの『国内排出権』が何時必要になるかわからない。大企業が進出して工場を建てるかもしれない。ある日突然人口が増えることも考えられないことでない。
 その人達が、今より便利で快適な生活を望むのは当然だろう。となると、二酸化炭素の排出量は増えることだってあり得ること。最悪の場合、売る立場から買う立場になることだってあるという、笑えない笑い話の種にもなりかねない。
 そこで、『国内排出権』を売り渡すのではなく、実際に自分たちの手によって二酸化炭素の排出量排を得る方法を提案するというアイデアはどうだろう。具体的には、都会の人達に『ドングリの森』を作ってもらおうというものである。

 私は校長として、渋谷区立中幡小学校の6年生を引率して、長野県飯田市郊外柿の沢に農家の理解と協力を得て『ドングリの森』を8年前から作っている。いや、既に退職して4年経つのだから『作っていと過去形で表す方が正確だろうが、この行事は続いていることから、『行っている』という現在形で話を進めたい。
 その活動やはじめた経緯は私のサイトをご覧いただければわかるが、カ-ボンオフセットやデモクラシ-とは無縁、ただ子どもたちの感動を形に変えたかったからである。
http://homepage3.nifty.com/120donguri/main.htmを参照していただければ幸いである)
 ドングリの芽生えに子どもたちが無条件で感動した様子をみて、子どもが育てたドングリの苗を、どこか地方に植えて将来的に大きな森にする、というアイデアが浮かび、それを飯田市の支援で実現できたものである。
 結果的には、まさにカ-ボンオフセットの考え方を先取りしたもの。このノウハウを生かして都会に呼びかければ良いことになる。
 最近の学校の様子をみていると、学校ぐるみ・学校行事として地方に出かけ『ドングリノ森つくり』という授業は難しいかも知れないが、自然体験学習を実践し、その教育的効果の絶大なことを知っている私には、たとえ学校行事でなくても『自然に触れ合い・遊び・学ぶ』という体験を推進することの意義は大きいと確信している。
 NPOやPTAの主催でも構わない。二酸化炭素の削減が緊急で且つ重要な国際社会の課題である以上、これは営利の絡む旅行業者の『ドングリの植樹ツア-』というイベントでも構わないのではないだろうか。

 また、地方の活性化という視点から考えると、文科省と農水省、総務省の三省が昨年6月『子ども農山漁村交流プロジェクト』という構想を立ち上げ、『学ぶ意欲や自立心、思いやりの心、規範意識などを育み、力強い子どもの成長を支える教育活動として、小学校における農山漁村での長期宿泊体験活動を推進する』という基本方針をかかげ、全国2万3千校(1学年120万人を目標)で体験活動を展開することを目指すことが決定されている。
 ただ、次期指導要領の概略が発表されて、授業時間数が1割ほど増加という案が表面化している段階で、どの時間で自然体験活動や長期宿泊体験活動を位置づけるのかが不透明だということが明らかになっているので、文部科学省としてどのぐらい気合を入れてこの方針を実践していくかがよく見えないのが気掛かりであるが・・・。
 この基本計画に沿って言うと、今後5年間で、(1)農山漁村における宿泊体験の受入体制を整備、(2)地域の活力をサポートするための全国推進協議会の整備等を進め、今年度は『(1)農山漁村での1週間程度の宿泊体験活動をモデル的に実施し、これら活動を通じて、課題への対策、ノウハウの蓄積等を行う、(2)セミナー等による情報提供等を行い、体験活動の実施に向け、国民各層を通じた気運醸成を図る、(3)関係機関での情報の共有化等を図り、地域の自立的な活動につなげる』とプロジェクトは動きだしている(ようだ)。
 これは凄いチャンス、自然体験の一つのプログラムに『ドングリの森つくり』を入れれば、即『二酸化炭素の削減』の一環の行事となる。
 子どもたちにとっては『ドングリの森』作りは夢である。実際に自分でできるとなると真剣に取り組む。加えて、二酸化炭素の排出量の問題をきちんと教えることによって、環境そのものを教える素晴らしい教材になり、これからの地球環境を考える上で大変有効なカリキュラムになることは間違いない。
 この構想に加えて、地方は『国内排出権』を商品化し、都会の自治体や企業とビジネスを行うのだが、都会の子どもたちによる休耕田や耕作放棄の荒れ地にドングリの苗木を植えるということによって、単に『国内排出権』売買ではなく、都会や企業に二酸化炭素そのものを吸収する『ドングリの森』という商品を作り出せるのだから、とかいがわとしてもメリットは大きいはず。

 ところで、クヌギは二酸化炭素をどのぐらい吸収する能力があるのだろう。ここに三重県が出したデ-タ-がある。それによると、クヌギ1本当たりの年間生長量を平均的に25kg、この数値は栄養水分・日照ともに充分与えることの出来る条件で、且つ成長過程にある樹木の平均値であり、ほぼ乾燥木材重量と等しいらしい。
 この値を基準にして、計算式に当てはめてみる次のようになるらしい。私としては全てその通りだとは思わないが、ある程度信頼できそうなのでそのまま掲載しておく。

●幹の年間成長量から増加量を計算(を重量換算比を0.5として)
 025/0.45=0.056 ㎥
●根枝葉の年間成長量を計算(重量材積比を0.67として) 1×0.67=0.038 ㎥
●上記の年間成長量から増加量を計算(重量換算比を0.45として)
 0.038×0.45=0.017t/年
●樹木全体の炭素蓄積量を計算(重量の50%を炭素として)
 (0.025+0.017)×0.5=0.021 t
●合計の炭素重量から二酸化炭素量を計算 0.021×44/12=0.077t/年
(二酸化炭素の分子量:44,炭素の分子量:12)
(二酸化炭素重量=炭素重量×44/12で表せられる)

 この結果、一本のクヌギが一年間で吸収する二酸化炭素の量は、0.077トン。キログラムに直すと77キログラムということになる。
 一方、人間が一人当たり年間に排出する二酸化炭素の量は約80キログラムと言われているから、クヌギ一本が吸収する二酸化炭素と人間が排出するそれとはほぼ同じ。すなわち、計算上、クヌギ一本を植えることによって自分の排出量が相殺されるということになる。
 これはかなり説得力のある数値ではないだろうか。
 一本のドングリの樹が吸い込む二酸化炭素の量は、この試算が間違っていなければ一人の人間が排出する量に匹敵する。(実際には、人間は激しい活動をしているので、年間3トン程度の二酸化炭素を排出しているが、分かりやすいようにこのような表現をしておく)ドングリの森が面積的に成長するならば、二酸化炭素の吸収量は年々増えつづけることになる。
 2000人の住民の村では2000本のドングリの樹を植えると、自分たちの排出量はそれらのドングリが賄ってくれる。さらに1万本のドングリを植えると、この村は1万人分の『国内排出権』を有することになる。
 これは凄いことで、1ヘクタ-ルに500本程植えることが可能だというから、20ヘクタ-ルの休耕田や荒れ地があれば可能になる。
 子どもたちにこの植樹の意義を指導することは、今必要とされている『環境教育』の分野でも意義がある。しかも宿泊施設も、既存の青少年の家などではなく、農家が引き受けるとなると、農家の収入も増えることにもつながる。

***

 突然話題が変わるが、ドングリ、なかでもクヌギはヤママユガという蛾の食草である。この蛾が作る繭から、淡い翡翠色をした『天蚕』と呼ばれる美しい糸がとれることはよく知られている。日本ではほとんど作られていない天蚕だが、普通の染料を受け付けにくいという性質があり、そのために衣料品のある部分に織り込むことによって、いっそうの気品と高級感がでると注目されている。この天蚕を使った着物は数百万円で取引されているという。
 天蚕を研究している施設は日本に二つ。愛媛県の西予市と長野県の松本市にあるが、どちら建物が老朽化している。研究員もほんのわずかで細々と運営しているのが現状で、何時閉鎖されてもおかしくない状態である。
 クヌギを植樹して二酸化炭素の排出量を押さえる働きを持たせると供に、産業としてヤママユガを育て、その繭から天蚕を作るというアイデアも提供したいと思っている。歴史的に見て、天蚕の需要がなくなったからこのような研究施設が縮小されてきたのだろうが、この技術をこのまま消してしまうのは実に惜しい。
 当初から採算面で合理性があるとは思えないが、『天蚕の町』などというネ-ミングは町おこしの起爆剤になるのではないだろうか。
 さらにドングリの樹は木炭の材料として有効活用できる。木炭の需要は年々増加しているというが、現在のような使い方をしていればさほど期待できない。
 しかし、木炭の水の浄化作用の優れている点に注目すれば、利用方法は飛躍的に拡大するはずで、このことを主張している学者や識者は多い。その方々の指導で、現在でも木炭を使った水質浄化装置が作られているが、私はもう少しスケ-ルの大きい利用方法を提案したい。
 全国の多くの自治体は近くを流れる大河を水道水に利用しているが、年々水質が汚染し、その浄化に苦労しているという。東京と神奈川の境を流れる多摩川を例にとって話を進めるが、取水するための堰が数多く見ることができる。
 上流の堰の水はともかく、下流の田園調布付近になると、水は淀み白いあぶくが浮いているのも日常的に見られる光景であり、東京の人達はこんな水を濾過して水道水に利用しているのかと気の毒に思うことも度々である。
 その堰をコンクリ-トから木炭に代えてると同時に、その上流・下流の数キロメ-トルすべて木炭で覆い尽くすというアイデアはいかがだろう。木炭の流失を防ぐために強力な金属のネットで固定する(このようなシステムを適当な言葉がないので仮に『木炭ダム』と呼ぶことする)のだが、水はこの木炭の厚い層を通るうちに浄化される。
 我が国は水資源が豊かだと言われているが、今後も保障されているわけではない。技術的にかつ財政的にこのような『木炭ダム』が作ることが可能となれば、水資源の確保という問題は解決できる。
 この全長数キロメ-トルというスケ-ルの『木炭ダム』に必要な木炭を、クヌギなど植樹したドングリの樹から作り出すことは全く無理なことではないだろう。どのような計算になるのかはわからないので数値は出せないが、『木炭ダム』は間違いなく二酸化炭素の排出量を減少させる役割はあることは確実である。
 二酸化炭素の『国内排出権』を買い取った都会が、地方のドングリの森で木炭をつくり、都市に運び込み『木炭ダム』として利用する。都会に住む人々にとっては夢のような話ではないだろうか。

 私は、どんぐりの森よりもっと価値があるのが『桑の樹』の植栽だと考えている。桑は誰もが知っているように『蚕』の食草。だからといって養蚕を復活させようと主張しているわけではない。
 桑の葉の成分を詳しく調べていくと、とんでもないことに気がつく。カルシウムが牛乳の27倍だと言っても信じてもらえないかもしれない。タンパク質も大豆の約半分、他の野菜に比べ、成分的には一桁違う数値を誇っている。
 野菜にはほとんど含まれていない亜鉛も海苔と同じぐらい、ビタミンAにいたっては他の食品の追随を許さないというから驚きである。一般にミネラルと呼ばれる、ナトリウムやリン、マグネシウムやカリウムなどの無機質も信じられないほど高い含有率、しかも、デリキシノジリマイシンという糖を体に吸収しにくくする成分があるというから利用しない手はない。
 蚕が桑の葉だけを食べて、一月で体重が約1万倍にもなる事実から、昔の人達は桑の葉には、信じられないパワ-の存在を知っていたのではないだろうかと思わずにはいられない。しかし、『お蚕さまと』という敬称で呼び親しんでいる蚕は、まさに宝を産み出す神のような存在、お蚕さまが食べる桑の葉を横取りするなんて思いつかなかったのではないかと想像している。
 人々は、決して桑の葉を食べようとは思わなかったことが、ここまで徹底した思想としてあるのが不思議に思えるが、桑の葉は『お蚕さま』が召し上がるもの、自分たちは絶対に食べてはならないというお触れがあったのではないだろうか。これから調べていくが、ひょっとして『桑を食べると災いがある・・・』なんて言い伝えが残っている地方もあるのではないかとも思っている。
 従って、実際に食べてみるとこれが実に美味いことを知る人はほとんどいない。私は去年の夏以来、桑の葉を食材とする研究を続けているが、桑の葉の魅力にとりつかれてしまっている。
 桑と4月の芽吹きから11月の落葉期にいたる長期間、ずっと新芽を次々に出すという性質を持っている。枝先を摘み取ることによってその性質は一層顕著になり、摘み取った枝先には一週間後にはまた摘み取り可能の新しい葉が芽吹いている。別の言葉で表現すると、いくら摘み取っても再生すると言っても過言ではない。
 茹でて庖丁を入れると、モロヘイヤのような粘りがあることを実感する。ほんのり甘さがあり、味はホウレンソウにも匹敵する。二酸化炭素の排出量を減少させながら、食材の一つとして利用する。大げさな言い方になるが、食料自給率を高めていることに間違いない。

 過日、島根県の桜江町を訪問した。最近江津市と合併した人口300人ほどの小さな町である。そこに『桑茶生産協同組合』という有限会社が、ここ10年ほどで荒廃していた桑畑を再生し、桑の葉を『茶』などの製品に作り替えて、現在では年額1億円以上の売り上げている。しかも、その事業を推進している人は他県からのIタ-ン組の人だというから凄いものである。
 古野さんとおっしゃるのだが、この方は桑には全くの素人だという。江の川の風景が気に入りこの地に永住することを決めてやってきたところ、町おこしの相談を受けたようだ。彼は、早速町をめぐってすっかり野生化した『桑』の大木が江の川の河川敷一面を覆っている風景を発見したという。
 彼は町おこしのキ-ワ-ドを『健康』だと考え、健康によい商品を開発することが大切だと思い当たり、その時記憶のなかに『桑茶』が『健康』によいということが書いてあったか、パンフレットを見たのだろうが、桑の樹を見て、この商品を考えついたと話している。この洞察力には素晴らしいとしか表現のしようがない。
 桑の樹の生命力の強いことは良く知られている。最近では治水が行き届き氾濫などあまり聞くことがなくなったが、一昔前までは河の反乱は日常茶飯事。しかし、氾濫のお蔭で肥沃な土砂が堆積することも良く知られており、養蚕が盛んな土地では水害の被害が想定される土地には桑を植えたものである。どんな氾濫にでも耐えられるというより、氾濫を栄養として育つ桑の樹は、このような土地には最適なのである。
 養蚕には農薬は大敵。桑は農薬を散布する必要がないので、当然土壌に農薬はじめ化学薬品の成分が残留していない。彼はこのことにも注目して『有機栽培』という認証を得ることを思いつき、野生化した大木を根元から切って再生をさせていった。
 桑は切っても・切っても枝を伸ばす樹であるので、見事数年で桑畑は整備されて、有機栽培の桑の葉を年間2~3回摘み取ることができるようになり、お茶に加工して商品として販売。これが健康志向の世の動きにマッチしたようだ。
 これは、森作りにもヒントになる。ドングリの森を作るのは『夢』を実際に実現する物語として素晴らしいものであるが、桑の森となると、実際には『健康補助食品』に加工できるというメリットがあるのは魅力である。 しかも前述したように、野菜としての価値があるとなると、『次世代野菜』というネ-ミングで特産品にすることも考えられないことではない。(杉)